「私(三宅)は、ある大学院で精神医学を講義させていただいているのですが、先日、今期の講義が終了しました。受け持つ範囲は昨年と同じなのですが、内容は少しずつ変え、スライドも結構新しいものに作り替えました。
昨年の講義が(ありがたいことに)評判が悪いということはなかったのですが、全く同じ講義をすると、自分がすごく退屈してしまうし、多分聞かれる方々も身が入らないと思うのです。
それに私は、同じ話を複数回、マンネリ気味に、あまり乗り気でなく話していると、なぜか突然緊張してしまうことがあるのです。
不安障害、特に対人緊張の強い方々とよくお話するのですが、「こんな場面では緊張しないだろうな」と高を括っている時に、まさに足元をすくわれるように、ひどく緊張してしまうことってありますよね。
仕事の場面では、どんな些細な場面でも、それに見合っただけの準備はキチンとして、前もって良い意味での緊張感を持って臨んだほうが、変な緊張感は生じないし、その仕事の出来も良いですよね。
そんな考えもあって、私は人の前でお話させていただくときは、同じ内容を求められたとしても、何とか新しいことを盛り込むようにして、自分にとっては新鮮味があるような話に仕上げるようにしています。
話は飛びますが、あるフランスの有名な指揮者は、オーケストラの練習に入る時に、団員に、「たぶん君たちはこの曲を何十回も演奏しているだろう。しかし、お客さんには、あたかも初めてこの曲を演奏した、と思わせるように演奏しなければなりません」と説明したそうです。たぶんこれは同じようなことを言っているのだと思います。いかに上手いオーケストラのよる完璧な演奏でも、マンネリ気味にやられては、なんだか眠くなる気がします。
またまた話が飛びますが、私はあるオーケストラの定期会員です。先日、その首席指揮者のカンブルランという方が退任されました。
その最後の演奏会の時の聴衆の盛り上がりは大変なものでした。
(なお、この写真は楽団の許可を得て撮影しています)
皆、カンブルランのことを大好きだったのです。私のような聞く耳を持たない者が聞いても、この方が指揮すると、何百年も前に作曲されたクラシックの曲が、なぜか昨日作られた音楽のように、イキイキと、活気に満ちて感じられるのでした。
私が講義している精神医学という領域は、その分野の特性上、100年くらい前に書かれた本や、何十年も前に創始された治療法なとについても触れざるをえません。
カンブルランの演奏までには到底及ぶはずもありませんが、私も講義の中で、そういった古い理論を、あたかも昨日できた理論のようにお話できれば、と考えています。
そして、そういうところに心を砕いていると、不思議とあまり緊張しないことにも気付かされます