落語とASD

趣味について② 〜落語とASD

先日は、『どうせやるなら鑑賞よりも、自分が何かやるような趣味を』と書かせていただきましたが、ちょっとそれは言い過ぎでしたね。
鑑賞するだけで、何か新しい体験になる、
ということもありますからね!


私は先日、落語を聞いてきました。ほぼ初体験に近かったのですが、知り合いの方にお知らせをいただいたので、良い機会だと考えて行かせてもらいました。



あいにくの雨模様の日でしたが、予想に反して大賑わいでした。



場所は新宿末廣亭です。以前からその前は何度も通りかかっていて気になっていたのですが、中に入るのは初めてでした。

末廣亭は昔ながらの趣のある建築でして、



中に入ると、古い街に残る昔の芝居小屋のように、客席の両側は、畳の敷かれた桟敷席があります。

私の行ったときには、どう見ても制服を着たOLさんのように見える方が桟敷席にいらして、のんびりとご飯を食べながら始まりを待ってらっしゃいました。こっそり会社を抜け出して、休憩されていたのでしょうか……?

いずれにせよ、ここだけは外とは別世界で、おっとりとした昭和の時代の空気が流れているように感じられる空間でした。


さて始まると落語あり漫才あり…、そして超巨大なケン玉(?) を使った芸があったり、傘の上でなんでもかんでも回してしまうような芸があったりで、飽きさせられることなくとても楽しい充実した時間を過ごさせていただきました。

やはり、演劇などもそうですが、目の前で生身の人間に演っていただけると、こちらも自然と引きずり込まれて、単なる鑑賞にとどまらず、一緒に何かを体験している、という気になるから不思議ですね。


そしてトリが、お目当ての噺家さんの落語でした。
この日の落語は
、「花魁に恋していて、その花魁からも好意を持たれていると勘違いしているおじさん」が主人公でした。そしてストーリーは、「実は花魁はその客が大嫌いで若い衆に命じてなんとか客を追い返すようにするのですが、『あなたのことを嫌いみたいです』とも言えず、苦労して、その苦労で笑わせる」といったものです。


噺家さんが上手くて笑わされましたし、人生の微妙な機微とか、その機微がわからないおじさんの堅物さなどが、深く印象に残りました。
落語というのは、「人生の機微」が描かれることが多いのででしょうか? その「機微」について、それが通じない相手になんとか上手く伝えたい、と思って苦労するとか、あるいは人生の機微がわからない相手にはちょっと当てこすってみて、陰でコソッと笑うとか……。
いかにも江戸という大都会で好まれた都会的な笑い、という印象を持ちました。


でも、ふと私の職業柄「こういう世界は、ASDの人にはキツイだろうなー」とも感じました。
ASDの方はそもそもお笑い的なものはあまり好まれないことが多いですし、ましてや「人生の機微」などは大嫌い、ということが多いような印象があります。そもそも「オブラートに包まず、はっきり言ってほしい」と感じているASDの方は多いのです。


今回の落語にしても、主人公のおじさんは機微がわからなくて、ある意味、からかわれているわけですが、おじさんがもしASDなら、「花魁が自分に会いたくないと思っているなら、そうはっきり言ってくれないとわからない」と文句を言いそうだとも思います。


まあ、せっかくのお笑いの場で、こういうことを考えてしまう私も相当、面白みのわからない朴念仁(?)なのかもしれませんが。
とはいえ、この朴念仁的な私が、これほど楽しめ、またちょっぴり深く考えることもできたので、やはり落語というのは奥深いものなのでしょう。ひょっとしたらASD傾向がある方が聞きに行かれても、すごく楽しめはしなくても、いろいろと勉強になることがあるかもしれません。
皆さまにお勧めです!