皆様、連休はどう過ごされましたか? 私はまた、愛犬と修善寺に行ってきました。
貸別荘を利用すると、家族以外とほぼ接触なく旅行することができるので、我が家のマイブームとなっているのです。ただし一ヶ所だけ外出しました。前回の旅行で初めて知った、漱石のいわゆる『修善寺の大患』にゆかりの場所です。当時、漱石が宿泊していた旅館の部屋が、そのまま移築されているのです。
この二間続きの部屋の敷居越しに、危篤状態の漱石は、駆けつけた自分の子供たちと顔を合わせたことが記録に残っています。その時の漱石の気持ちは、いかばかりのものだったかと、同じく子供を持つ父親として、感慨深かったです。
さて、前回のブログでは、「漱石が森田療法を受けていたらどうだっただろうか?」という仮定の話を書かせていただきました。ふと、実際には漱石に対して精神医学的なアプローチはなかったのかと思って、東京に帰ってから調べに行きました。近くの伝統のある病院の図書室です。皆様、医学部の図書館とか病院の図書室って行かれたことはないと思いますが、こんな感じです。
たいてい迷路みたいになっていて、通路の両側に同じ色の背表紙の本が並んですいます。それらは、定期的に刊行される医学雑誌が、図書館で年ごとにまとめられて製本されたものなのです。
こういった迷路のような図書館の奥に、宝物のような素晴らしい論文が数多く眠っています。私は大学病院に勤務していた頃は、よく図書館にこもって、興味を惹かれる論文をひたすら漁っていたものでした…。
思い出はともかくとして、漱石の精神医学的問題を論ずる論文はいくつも見つかりました。漱石は実は「神経衰弱」どころではなく、明確な幻聴や被害関係妄想を症状として持つ、重い精神病だったらしいのです。
ですので、この内沼先生の論文のように、「そもそも漱石の病名は何だったか」という方向の論文もたくさんありますした。
一方、「重い病気を患っていた漱石にとって、創作することはどういう意味を持っていたか」という論文も散見されます。
そもそも、精神科医の間では、「ある種の芸術家とっては、その創作活動自体が、彼の精神疾患が悪くなることを防いだのでは?」ということがしばしば言われます。この論文の著者である高橋先生も、「漱石の創作活動には、幻覚や妄想に対する当事者の対処行動という自己治療的・芸術療法的な要素があった」と述べています。さらには、漱石はしばしば小説の中で、漱石自身のような、内面に向きがちな思考を改める方法まで提示している、というのです。それは具体的には、「魅力的な課題を外界に提示する(中略)といった考え方」で、「意識を外界に集中させるという意味では森田療法を想起させるものがある」とのことです。
浅学な私は「漱石も森田療法を受ければ良かったのに…」などと述べてしまいましたが、事実は逆で、なんと漱石は森田先生が森田療法を創始する10年ほど前に、森田療法のような治療法を提示しているらしいのです。
精神科医の感じる漱石の最大の謎は、かなり重い精神疾患があって治療も受けていないのに、その疾患がどんどん進行してしまうこともなく、なおかつ旺盛な創作意欲が衰えずに、傑作を書き続けけられた、ということです。この謎は、漱石が森田療法的な対処法を気づいており、不十分ながらもそれを用いていたからなのかもしれませんね⁈
ということで、私は漱石に俄然興味が湧いてきて、本棚から引っ張り出して読み耽っています。若い時はつまらなく感じた小説が、なぜか今はとても面白く感じます。
ちょうど今は読書の秋です。皆様も、漱石を手に取られてはいかがでしょう?