右脳と精神療法の関係②
GWが終わってしまいましたね。
今通っている教室の方針通り、眼の前の風景(あるいは写真)の中の石は全て描き入れ、そして明暗も見えているとおりに描き写すという方法です。最初はやっかいに感じますが慣れるとなかなか楽しいです。
実は、前回に書いた、「精神療法と右脳との関係」
以前習っていた絵の先生が、こう言ってました。「
つまり、顔を描く時に、「ここに目があって、その下に鼻があって、その下には口があって……」とは考えていないものですし、もし仮にそういった意識のモードのままに描いていると、どこか子どもじみた漫画のような絵になってしまいます。
絵の経験を積んだ方ほど、そういった見方ではなく、言語化できない骨格の構造をそのまま写し取ろうとか、背景と顔との間にできる隙間の形状をそのまま写し取ろうとか考えるようです。
そういった、「言語化しないで描く。しばしばでしゃばりすぎる左脳の働きを抑えて、右脳の働きを十分活かして描く」ということを方法論として強く打ち出している画家もいます。例えばベテイ・エドワーズという画家は、邦訳もされている「脳の右側で描け」という書籍まで出しています。
さて、ここで話が戻って、精神療法と右脳の関係の話です。
大住先生の「瞑想箱庭療法」に関するご著書を読んだり、
具体的にいうと、治療が進んできたクライエントが、面接室の花々や窓から見える木々を不思議なほどありありと、そして美しく感じられる、といった経験のことです。さらに治療が進むと、日常生活のででも、そういった体験が増えていくようです。
私は、この話を聞いた時に、
絵の先生はもちろん心理療法を受けていたわけではありません。
右脳の働きが活性化しているのでしょう。
もちろん、これは単なる私の憶測でしかありません。
これまで、
ところで蛇足ですが、上記の私の憶測が正しいとするならば、
ということで、私はGW中かけて、絵を仕上げ、
どうでしょう、絵は額に入れると、
この、額にいれると絵が良く見えるといった現象の理由も、